屋根裏のゴミ

おもにゲームとか映画とか旅行とか、超独断と偏見に基づいたことをおすすめするブログ。

ペルソナ5 クリア後感想(ネタバレあり)

発売から約2週間、廃人と化しながらもようやくクリア致しましたので感想をば。
プレイ時間は65時間、サクサクのEasyでプレイ。

 

 

 

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

 

 

 

とにかく先が気になるストーリーで、やめどきがわからないかっぱえびせんのようなゲーム。相変わらず素晴らしいシナリオ構成と、何段階も起承転結の「転」が訪れる、あっと驚かせられるストーリー。オサレなUI、魅力的なキャラやコープの仕組み等、どれをとっても正当かつ挑戦が良い方へと着地したすばらしい最新作だったといえる。

ゲームシステムやシナリオなどなど、多く語りたいことは山ほどあるが、今回はかいつまんだ点のみ感想を述べていこうと思う。

 

  • ペルソナ覚醒について

主人公はおいといて、各キャラの覚醒についての感想。
今回は「怒り」が大きなひきがねとなっている模様。
理不尽な社会や大人に対する憎しみや怒り、そういった感情が起爆剤となって、自身のペルソナは仮面として生まれ、それを感情の爆発と共に引きちぎることにより実体化する。個人敵にはペルソナ覚醒のモーションとしては一番好きである。

しかし、4に比べると初期パーティの2人のきっかけは若干弱いように感じてしまった。

(というより、各キャラへの加害者たちの悪行の数々に対して「こんなの許せない!」という純粋な怒りが湧かず、感情移入ができなかった。いわゆるヒーローものの悪役っぽいというか、詐欺や恐喝で学生から金を巻き上げたり、盗作して金や名誉も自分のものにしたりと、言ってしまえば彼らの罪状がかなりありきたりな上、陳腐であった。改心させる対象が個人だったから仕方ないものの、一個人に対する善悪とか恨み・怒りをぶつけるのではなく、今の時代だからこそ起きてしまった社会の歪み故の犯罪や問題そのものに焦点を合わせた「敵」だったらよかったのかもしれない。そういう意味では、電車の広告にあった「いじめ問題」なんかはでてくるかな~と思ってたらなかったのでちょっと残念。)

ストーリーだけみたらそんなことはないのだろうけど、何せ美しい正義感にあふれた「怒り」だからなのだろうか。自分は被害者で、危害を加える絶対悪の存在がいる そしてその存在を討つために怒りを爆発させて自身のペルソナ能力を手に入れるのである。
つまり、勧善懲悪な式ができている。

これは4と比べると見事に正反対な構図である。
4は、醜さが力になっていた。
親友として付き合っている美人の友を心の奥底では強く妬んでいたり、自分の身なりとは真逆な趣味に強いコンプレックス意識を抱えていたり、アイドル活動で世間に求められる姿を演じてるうちに、どれが本当の自分かわからなくなったり――。
誰しもが自身の中にもう一人の醜い己を飼い、そこから深い闇を生み出してしまう。そして醜く弱い自分からなるべく目をそらし、表面では綺麗な自分を演じたまま逃げ続けている。
しかし醜い自分を持っているのは至極当たり前であって、それを持ちえない者は聖人君子しかありえないのである。自身のシャドウを倒した時にその事実に気付き、弱く醜い自分を受け入れ許容することによって、強くなる 。その強さこそがペルソナ能力なのである。

つまり、「ペルソナ=もう一人の自分」という定義にあてはめると、この能力を得る時に倒すべき対象は心の中の弱い自分自身であって、何かの危害を加えてきた加害者、つまり絶対悪の存在ではないのではないだろうか。

倒すべき敵=絶対悪 という公式を打ち破ったRPG

ここが大きな差であり、かつ私がペルソナ4に惹かれた一番の理由なのだと、ペルソナ5をプレイしていて改めて思った。

 

かといって5が陳腐な勧善懲悪ものか?と言えば決してそうではない。
ピカレスクロマンというテーマで、社会の闇や大人の歪んだ欲望、そういった言わば「タブー視」されている事柄を討たんとする物語はそうそうないだろう。

また、ボスを倒してはいスッキリ終了!という晴れ晴れしさも一切ない 倒した(改心させた)後も、「果たしてこれでよかったのだろうか…」という疑問を持たせ、プレイヤーに考える余地を与える。このあたりの後味の悪い余韻がさすがアトラスと言うべきだ。まるでどろどろした重たいストーリーの小説を読んでいるかのようである。

 

正義と悪の線引きをあえて曖昧にすることによって、どちらも実は表裏一体であり、必ずしもどちらが正しいなんてことはありえない、けれどその都度自身で考えぬいた最適な判断をしなければいけないという現実のシビアさをまるごと残している。ファンタジーだったらこんなことはありえない、だからこそのペルソナの面白さである。

 

  • ダンジョン・ボスのデザイン

ここからは細かい余談になるが、私は毎回ペルソナシリーズのダンジョンやボスの形状・デザインが非常に好きであるため、今回も少し語らせてほしい。

 

PSCで少し出ていたが、相変わらずダンジョンに散りばめられたボスの変態性・異常性のぶっこみ方は流石である。私が好きなのはタモリ倶楽部のようなオシリモニュメント笑 また、そこからのあのボス戦である。

鴨志田のキャラ性を見事に表し、皮肉し、風刺したデザインと演出は完璧である。はだかの王様に、盃に盛られた女性とワイン。まさに色欲の塊を最大限表した酒池肉林のボスである。
そして猿轡と枷をつけられた赤子のような奴隷。ここまで何かを風刺した現代アートのようなボスが今までいただろうか。
これができるのは正真正銘アトラスだけだと思う。こういったブラックユーモアを規制したり、生ぬるくしてしまったらもうそこでアトラスの良さはしんでしまうのでどんどん過激にやってもらいたいと思う。

 

でも正直なところ、4のサウナやストリップ劇場を超える激しさは無かったので、そこはちょっぴり残念。まあこの二つが過激すぎたんだけど笑。

 

  • 真エンドについて

巷ではもっぱらこの存在の是非について多くの議論がなされているようだが、個人的には絶対にあると思っている。というのも、やはり不審な点・作中で回答されていない点があちらこちらにちりばめられているからである。
仲間から何度も言われる、「以前どこかであったことあったみたい」というセリフや、屋根裏部屋が「どこかなつかしい」という既視感。これら仲間からの既視感プラス、主人公が山手線で目が覚めるシーン。もう、どう考えても、タイムリープしかない気がするのである。
正直、あのたびたび流れる尋問室での回想シーンから、ここで失敗して捕まってしまったが故に、今プレイしている時間軸はタイムリープをして「やり直し」をしてるってことなんだ!と勝手に思い込んでいた。そうしたらまさかのまさかの作戦だったとは。しかしこれでは先ほど述べた既視感の説明が全くついていない。ただのなんとなく仲間が思った感想にしては出来すぎている。

あとはやはり、取り調べ中に冴が言っていた「仕組まれていたみたい」という発言が気になって仕方ない。では、獅童でもヤルダバオトでもなく、これら全ての出来事を最初から仕組んでいたのは一体誰なのか。これはあくまで個人的な一意見でしかないが、やはり冒頭の冤罪事件で獅童に絡まれていた女性しかないだろう。
そもそも、主人公の釈放までのたった2か月で、怪盗団メンバーはどうやって彼女を探し出したのだ?獅童が権力を使ってもみ消した事件の関係者をどうやって?あの口ぶりだと冴はこの被害者捜索に関わっていない様だし、とてもじゃないがあのメンバーで探せるとは思えない。彼女を見つけ出した経緯も何もなかった。あそこだけ、ご都合主義感で浮いているのである。
となれば、やはり彼女が物語の綺麗な幕引きのために自ら見つかりやすいよう姿を現したのではないかと考えてしまう。
……考えすぎかな?笑

正直なところ、4のらっしゃーせーが新しい風を入れるために、足立と主人公の二人に力を与え、その様子を俯瞰していたという流れが非常に好きなので、そういった俯瞰している人物、全てを上から見下ろし、操っていた人物の存在が欲しい!あの終わり方では少し物足りない…!!

 

 とまあ、不満点が目立つようなことをつらつらと書いてはきたが、これは決してつまらなかったとか、不満があるとかそういうことではなく、これだけ素晴らしいゲームだったからこその、こういうちょっとした疑問や問題提議なのである。

 

逆にあれやこれやと考察を巡らせ、様々なことを考えさせてくれるこのゲームの存在は有難すぎるくらいに有難い。まさしく、PS4を代表するソフトと言えるだろう。

これだけ構想を練って、発売を延期してまで調整をし、完全な状態で世に送り出してくれたアトラスの人々には頭が上がらない。

こんなに面白いゲームを出してくれて本当にありがとうございました!

これからも期待してます!!!

 

ここで息切れしてしまったので今回はこれまで。

次書けたら大衆や認知などの本作のテーマについて言及していければと思う。

 

↓先日新しく書きました。よろしければ。

 

linkle24.hatenablog.com