屋根裏のゴミ

おもにゲームとか映画とか旅行とか、超独断と偏見に基づいたことをおすすめするブログ。

かつて恋焦がれたバリは何処へ――。人生6回目のバリ島で感じたこと。

先日3年ぶり6回目となるバリ島へ行ってきました。

6回目と言っても、初回は赤ちゃんの頃、2回目は中2なので実質4回目くらいなものです。

 

これだけ訪れていることもあり、友人知人がバリに行く際には必ずおすすめスポットを聞かれるなど、半分ガイド的な役割を果たしていたり、周囲の認知度も非常に高いものとなっていました。

 

なぜこんなにもしょっちゅう訪れているのかというと、それは「バリでしか味わえない空気が好きだから」に他ならないんですよね。

 

といっても、中2で訪れた時から好きだったかというと、実はそんなことはありませんでした。きちんと物心がついた状態で訪れた初めての海外だったこともあり、整備されていない道やインフラ、街中で見かける物乞いなど、当時の自分には受け入れ難い現実があり、むしろ悪い印象の方が強かったように感じます。

しかし、ウブドで感じた風の心地よさ。バリ島にしかないバリヒンドゥーの文化や習慣、そしてなにより寺院の美しさと人々が捧げる祈りの記憶は、今でも鮮明に憶えているくらい、「私」という人格を形成する上で大きな影響を及ぼしたのだと思っています。

 

その記憶と質感があったからこそ、大人になってからも「またバリにいきたいな」と思うようになり、実際に訪れてからは少しずつ当時の記憶を呼び覚ましながら、それらに結びついた感情をひとつずつ確かめてはアップデートしていく、ということを行っていったのだと思います。

あの時感じたときめきは確かにあった!そうそう、こういうところが好きだったんだ~と。大学生までは、確かに恋をしていました。バリに。

 

 

 

f:id:linkle24:20200208121254j:plain

 

しかしながら、先日訪れたバリでは”なにかが違った”のです。

かつてあんなにも恋焦がれ、好きなものがたくさんつまったこのバリ島。ただいるだけで、一瞬一瞬を過ごすだけで、とても充足感のあった日々とは感じ方が全く違うものになっていました。

 

観光客がたくさん押し寄せているから?以前よりも開発されてしまったから?

はじめはそう思っていたんです。

 

確かにその要素ももちろんあります。以前よりも圧倒的に観光客は増えたし、田舎だったウブドの街にもチェーンのお店がたくさんできてしまった。バリだけでしか味わえない空気や景色が確かにあったはずなのに、今では見慣れたチェーン店が存在している。そこへのがっかり感ももちろんあります。

しかし、考えを巡らせているうちに、一つあることに気が付いたのです。

 

 

よく「思い出補正」という言葉を使いますが、今回もその「思い出補正」だったのかも、と。

しかしながら大人になってからもすでに3回行っていますし、もし思い出補正ならば大人の1回目もしくは2回目に気が付くはずではないかと思うんですよ。

というかそれ以前に、そもそも「思い出補正」とは何なのかという話です。

一般的には、過去にあった楽しい思い出が時間とともに美化されてゆき、実際に感じた感情よりもはるかにプラスのものへと解釈が重ねられることとされていますよね。

ここで思ったのです。過去に感じた「私はバリが好きだ」という非常に強い思い込みが、再度訪れた際に新たにアップデートされることを拒絶してしまったのではないかと。今後の人生をかけて絶対に揺るがない絶対的価値観として、「バリが好き」だと脳にインプットされてしまったが故に、それを崩すことができなくなってしまったのではないかと、そう思ったのです。もし再び訪れた時に、あれ…私が好きだったバリってこんなんだっけ?と感じてしまうと、過去の思い出をすべて否定するようなことになるじゃないですか。だからきっと、脳が拒否していたんですよね。

 

でも人はいつだって変わる生き物なので、過去に感じたことが間違いだったなんてことはなく、単純に、今の自分の感性が昔から変化した。ただそれだけのことなんですよね。

そのことに気が付いていれば、きっと素直に「バリへの感じ方が変わったんだな」と、この感情の変化をすんなり受け入れられた気がするのですが、今までの自分はおそらくそれに気が付けていなかった様です。かつて自分が感じたことなのだから、それが揺らぐはずはないのだと。

 

だから今回バリを訪れて、かつてほどの情熱を感じられなくなったのは、決して過去が間違っていたというわけではなく、自分の感性が変化した、あるいはバリから受け取れるものはもう受け取りつくしてしまった、ということなのだと思うのです。ただ単純に新鮮さが失われ、日常化してしまったのかもしれませんが、正解は誰にもわかりません。

 

 

f:id:linkle24:20200208110044j:plain

でも今回学んだのは、いつまでも過去の価値観に囚われすぎずに、新しいものを見て・感じて・体験することがよっぽど大切だということです。

 

特に最近は生活の落ち着きや年齢に応じて、特に海外に対する以前ほどの冒険心・探求心が急速に失われている気がする(探求心自体はあるけどそれを行動に移し辛くなってきている)ので、すでに訪れたことのある”好きな国”に行きがちだったんですよね。でもその国に決める際の判断材料がすでに「好きだったから」という過去の指標に基づいた不確実なうえに思い込みを含んでいるものなので、今回のようなことが起きてしまうのだと気が付きました。

確かに誰だって過去に居心地がよかった場所に戻りたくなるのは本能なのだと思います。しかしながら、過去に感じたことには不確実性と思い込みを少なからず含んでいるということを頭の隅に置いておかなくてはいけないと今は思っています。

いつだって新鮮な気持ちで、まっさらなキャンバスに絵を描いている気持ちで。そんな風に旅行をしていけたら、常に最新の状態で旅を楽しめるのかも、と。

 

そんなようなことを考えながら、今の自分が一番興味関心を持っている「ネパール」に行きたいなあなどと考えあぐねている今日この頃です。

 

それではまた。