屋根裏のゴミ

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思春期の脆さと強さを描いた映画、「ウォール・フラワー」感想。

以前より会員でアマゾンプライムはちょこちょこ見てはいたのだが、あまりいい感じのラインナップが揃っておらず最近はチェックをサボりがちだった。

が、ふと思い立って友人から進められていたある映画をようやく鑑賞。

それがこちら。

 

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『ウォール・フラワー』 

 

結果からいうと、ものすごーーーーーく私好みの作品だった。

今まであらすじもきちんと読んでおらず、どんな話か全くわからない状態で観たのだが、何故今まで観ていなかったのか後悔するレベルでお気に入りの作品となった。

 

というわけで、以下気になった点をピックアップしながらの感想。

 

サムとパトリックの兄妹がひたすらにうらやましかった

本作でやはり強烈な印象を残しているのが、サムとパトリックの兄妹なのは誰しもが感じたことだと思う。異母兄妹ながらも非常に仲がよく、お互い様々な深い傷を抱えているにも関わらず、完全に振り切っている。兄妹だけれども親友。あんな兄妹いたら誰だってうらやましいよね…私もパトリックみたいなお兄ちゃんほしい…。

 

サムは自由奔放に生きてるslat美少女。けれど誰よりもしっかり者で、頭も良い。

パトリックはクレイジーでエキセントリックな美少年。見紛うことない美少年なんだけど、独特な変人オーラをもつ。

 

二人は互いに複雑な事情を抱えており、普通だったらがむしゃらに悩んで、卑屈になって、性格がハチャメチャに悪くなってもおかしくないのに、彼らはそれが一切ない。とことんまで振り切れており、ポジティブで、いつもクレイジーだ。人としての道を踏み外すこともなく(ドラッグとかはあるけどまあそこはアメリカなので…)、高校生活を個性的な仲間と共に謳歌して、心の底から人生を楽しんでいる。

 

この二人の生き方が、私には心の底から沁みた。

自らの異質で辛辣な経験に囚われ続け、卑屈に悩み続けることに果たしてどんな意味があるのだろう。私も学生時代、そのことに気が付いていればもう少し振り切ってより青春時代を楽しめたかもしれない。それくらい、彼らの生き方や気持ちの持ち用、全てが羨ましかった。

今でさえ、卑屈に悩んでしまうところに関しては本当にクソガキだと思う。そんなことをしたって何も変わらないし、何の意味も成さないことはわかっている。けれども、どうしても、甘えたくなる時があるのだ。

 

パトリックが夜のシェンリー公園にて、蒼白な表情でチャーリーにこう投げかけるシーンがあった。

 

「人は何故無力だ?」

 

いくら普段強がっていても、いくら陽気なフリをしていても、傷ついた心は癒えないし、ふとした瞬間に正直な気持ちがこみ上げてくる。

あのシーンが唯一、彼の本心を垣間見れた瞬間だったと思う。逆に言えば、こうして本心を本気で話せる友人がいなければ、彼の心は壊れてしまったはずだ。それほどまでに二人の仲は強く固い絆で結びついていた。

 

思春期の悩みはいつも自分が世界の中心

思春期というのは誰しもが悩みを抱えている。
そして何よりタチが悪いのは、何かに対して悩んでいる時、いつも世界が自分中心になってしまうことだ。何故こんなにも自分は不幸なのか、何故自分だけこんな目に逢うのかと、世界はいつも自分の方をみている。その結果、悲観し、絶望し、自身を追い詰め、心を無理やり歪ませていってしまう。しかし少し周りを見渡してみると、皆それぞれに悩みを抱えて葛藤し、不器用ながらも一歩ずつ前へ進んでいるのだ。
思春期という時期はこのプロセスがどうも長く、出口のみえない暗いトンネルを永遠と歩いているような気分になってしまう。

あの鬱屈した気分、仲間内でハイになっている時の高揚感、誰かと秘密を共有する特別感、恋をしたり、悩みを打ち明けられたり…とあらゆる事柄に感情を揺り動かし、自らの感受性を育てていく。それほどまでセンシティブで、それが故に脆く、誰よりも傷つきやすく、だからこそ互いの友情も固くなる。

 

何故人は間違った相手を選ぶのか――それは、自分に見合うと思うから

正直、これは真理なんだと思う。

恋愛対象として考えた時に、どうしてその相手を選んだのか。それは、自分に相応な、見合った人間だと直感的に感じるからなのだ。そこに理屈もなにもない。本能的に感じ取ってしまう「何か」がそこにある。

友人や知人に、何でこんなやつと付き合っているんだ?と不思議に思うカップルを誰しも一度は見たことがあるのではないだろうか。それはきっと、当人にしか視えていない、自分と似た部分を相手の中に見出してしまったからなのだと思う。心の奥底にしまっている自分自身が、鏡の前に立つように反射してしまったのだ。

この視点で世の中のカップルをみてみると、少し違った世界がみえてくるはずだ。

不釣り合いな二人には、外見だけではわからない何かしらの共通点が必ずあるのだ。それが表面にでているか、そうでないか、ただそれだけの違いである。

 

驚くほどに自己評価が低いサム

作中で何度かでてきた自己評価の話。これは家庭に問題がある子供にあるあるの話で、幼少期の頃から罵倒されたり、蔑まれたり、辱められたりということをされていると、どうしたって自信を欠損してしまう。特にサムはあれだけの美貌と賢さを兼ね備えながらも、不思議なくらいいつもクズ男と付き合ってしまう。これは同じくクズな父親にきちんと愛されたかった、ということの表れだと思う。それに対して周りは、もっと良い人と付き合うべきなのに…と心配しているが、正直なところサムからすれば、そんなことはどうだってよかったのだと思う。しかし彼女は最終的に志望の大学に受かり、自由を謳歌している。つまり、自らを縛り付けていた過去と決別し、新たな自分を手に入れ、別の人生を歩もうとしている。この展開は本当に胸熱だった。

 

 the perks of being a wall flowerにおける「perks」の意味

直訳すると、「壁の花であることの特権」となるわけだが、正直私は和訳タイトルである「ウォールフラワー」で良かったんじゃないかと思う。正直、作中で「壁の花」であることの意義や特権みたいなものはあまり描かれていなかったように思う。

 私の解釈としては、「壁の花」だったチャーリーがサムやパトリックたちの出会いをきっかけに自己を解放して過去のトラウマに向き合い自信を取り戻す話だという風に感じた。もし彼らとの出会いが「壁の花の特権」なのだとしたら、チャーリーは最初から最後まで壁の花であり続けることになってしまう。それとも、パトリックがチャーリーに、君はよく観察している~的なことを言ってたから、その観察能力=壁の花の特権があったからこそ、この出会いが引き起こされたということなのか?いやでもきっかけはチャーリーが思いっきってパトリックに話しかけただけなわけだから、別に観察能力は関係ない気がする……これに関しては完全にお手上げ侍。

 

パトリックが美しすぎる件について

最後の最後で言わせてほしい…超美形なのにクレイジーでいつもアホなことをしている人物が大好物なんす…
案外こういう人に限って、ものすごく暗い過去や深い傷を負っていることが往々にしてあり、深い仲になっていけばなっていくほど、それらが少しずつ見えてきて愛おしく感じるようになるんだと思う。普段のクレイジーさは自らの傷を外にさらさないようにするためのフェイクであり、本当の彼の姿を少しずつさらけ出してくれるようになる時なんて大興奮。今作を観て、エズラ・ミラー君の大ファンになってしまった…。

今度パトリックの美しさについてただひたすらに語る記事でも書こうかと思うレベル。これはひどい。

 

【結論】あんな青春時代を送りたい!

映画を観終わったあと、心の底からこう思ってた。日本のジュブナイルもののキラキラ感とはだいぶ一線を画してるけれども、これはこれでまた違った輝きがあるのだと思う。それは表面的でなく、カジュアルでもない、よりセンシティブかつ社会的な部分に突っ込んでいくシナリオ。決して爽やか青春モノではない、欠損した箇所がいくつもあるよりリアルな青春モノだった。

 

青春ジュブナイルものに大人の存在は必要ない。思春期の彼らの世界があり、そこで物語は生まれ、完結していく。子供しかいない彼らの世界だからこその脆さや痛さ、そして美しさがある。これはもう、大人が決して入り込めない世界で、年を重ねてしまった私たちが踏み込めない領域なのである。ある意味、スタンド・バイ・ミーもこういった感触がある気がする。

 

 

こんな感じで色々と書き連ねてみたが、この作品は私の人生のバイブル的作品になったといえる。観る人によっては、全く感情移入できなかったり、アメリカの高校生ライフに慄いたり、あまり肯定的な感情を抱けない人もいるかもしれない。けれども、映画なんてそんな感じで良いと思う。この作品は特に、響く人には響く、という類のものなのだ。

ということで、おそらく青春時代に悩み苦しんでた人は比較的感情移入できるような気がするのでよりおすすめ。現在進行形で悩んでる人もぜひこれを観て少しでも気が楽になればなーと。

 

今週末は『ウォール・フラワー』を観よう。 

 

おしまい。